アメリカで静かに進行中。
「60代は20代も30代も経験してきているので、下の世代の考えがわかる」と思いがちですが、そんなことはなかったのです。
“Quiet quitting”という概念をご存知だろうか。
2022年3月に、あるTikTok動画をきっかけにアメリカの若者の間で広まり、今や社会現象とまで言われている。
端的にまとめると、必要最低限以上の努力や労力を仕事に費やさず、ワークライフバランスを求める動きを表すフレーズだ。
多くのアメリカのZ世代・ミレニアル世代の若者たちは、なかなか良くならない経済状況の中で、何とか生活していくために長時間労働や副業をする必要があると感じている。
特にミレニアル世代の間では、「上昇志向」と「オーバーワーク」を結びつけた考え方、いわゆる「ハッスルカルチャー」が一時ブームとなった。
ハッスルカルチャーとは、「燃え尽き症候群カルチャー」「グラインドカルチャー」とも呼ばれ、仕事上の目標に向かって、毎日がむしゃらに働きつづけなければならないとするメンタリティのことを指す。
SNSにおいてもハッスルカルチャーは「モチベーショナルなもの」として肯定的に捉えられ、かつて日本のCMのキャッチコピーとなった「24時間戦えますか」と似た価値観のもとで、趣味や睡眠を犠牲にしてでも、「ハッスル(努力)」し続けることが美徳と考えられていた。
しかしコロナ禍を経て、「仕事=人生ではない、自分の人間としての価値は生産性で測れない」と主張する脱「ハッスルカルチャー」が徐々に進んでいる。
資本主義に毒され、人間を労働力としてしか見ない社会に抵抗する、という意志もその行動に含まれる。
仕事を必要以上に頑張らない、という考え方は以前から当然存在していたもので、Z世代やミレニアル世代特有のものではないかもしれない。
しかしそれに“Quiet quitting” という名前がついたために、よりこうした風潮について議論される可能性が広まったし、コロナ期間中はリモートワークの普及を経て「人生の時間で何が重要か」を考え直す機会も増えた。
「大切にされない職場で一生懸命働いても意味がない」「命と趣味を削って頑張ってもどうせ昇給しない」と諦めた若者たちは、仕事以外の別のところで人生の豊かさを求めている。
また格差社会が悪化するばかりのアメリカにおいて、搾取されていることに気づいた労働者たちの抵抗でもある。
例えばAdobeが 5500 人の従業員を対象に行った最近の調査によると、18~24歳の従業員の56%が、来年転職を計画していると答えている。
実際、2021年の4月に仕事を辞めたアメリカ人は調査開始以来最高の400万人で、これは前年の4月の退職者の2倍である。
このような統計から見えるのは、若者たちは仕事が実際に自分の未来像・将来展望に合っているかどうかについて批判的に考えるようになっている、ということだ。
つい最近も、イーロン・マスクによる買収騒動以降、話題の尽きないTwitter社において、以下のような出来事があった。
マスクのCEO就任後、広告収入が大幅に減少たことをきっかけに、彼は7000人以上いた従業員を2000人以下に減らした。
昨年11月の大規模なレイオフがニュースになるなか、ひときわ話題になった人物がいた。
Twitterの製品管理ディレクターだったEsther Crawford氏だ。
彼は、マスク氏がTwitter Blueの購読プラン刷新に向けて、残り少ない社員に多大なプレッシャーをかけていた際、サンフランシスコの本社で寝泊まりしていることをTwitter上で誇らしく「自慢」し、劣悪な労働環境、そして不健康な「ハッスルカルチャー」を美化したことで大きく批判された。
「チームが24時間体制で締切に追われているとき、時には#SleepWhereYouWorkすることもある。」
しかし残念ながら、ここまで献身的な従業員さえをも含む200人以上が、先日(2月下旬)解雇されたのだ。
大富豪の言いなりになって労働を搾取されても、あっけなく見放されてしまう。
ハードコアな長時間労働をし、私生活を犠牲にしてまで(そして会社の床で寝てまで)も、「仕事」は我々を守ってくれる保証がないということを証明した。
Work won’t love you back
「『Work Won’t Love You Back』(「仕事はあなたを愛し返さない」)
衝撃が走るようなタイトル、そしてそのジャーナリスティックな執筆の質の高さによって、多くの「2021年のベストブック」リストにランクインしている書籍である。
人々の間での競争を促進させる新自由主義の社会の中で、労働者はどんどん「私生活」を奪われ、「カネにならない」家事労働は軽んじられ、薄給で不安定な雇用形態であっても「キャリアのために」様々なことを犠牲にするのが当たり前になってしまっている。
このような問題と向き合うことで初めて、労働者(この場合は読者)は自らが置かれている搾取状況を認識し、ストライキなどの行動を通じて「正義」を求めていくことができる――そうした見方を強く促してくれるような、社会的な「正しさ」と革命的な「愛」でこの本は成り立っている。
古典的なマルクス主義理論に加え、シルヴィア・フェデリーチ、アンジェラ・デイヴィス、ベル・フックスなどによる、より新しいモダンな分析を論理的な支柱として織り交ぜていることも、高く評価されている。
この本の中心にある著者の哲学は、「他者との関係を大切にする」ことだ。
そしてそのような世界を形成するためには、仕事から「愛」を感じることを期待してはならない、と説く。
そうすることで初めて、本当に「愛」の力を生活で感じることができる、というのだ。
「仕事は決して私たちを愛し返さない。でも、他の人は愛してくれる」この一節こそが、本書の中核を体現している。
夢を煽られる若者たち
若い人たちが離職や転職を繰り返したり、メンタルヘルスを守るために休まなければならない大きな理由の一つに、子供の頃から“dream job(夢の職業)”に就くことがあまりに美化されてしまった結果、仕事に強い思い入れや愛情を注がなければいけないというプレッシャーが存在していることが挙げられる。
そしてその仕事に対する熱意や献身が、ことごとく利用され、若者が搾取されていくという負のスパイラルが続いてしまっている。
そんなことが重なるうちに、仕事というものに対して若者が絶望的になっていくのは当然な流れだとも感じる。
「今時の若者は辛抱が足りない」とか「メンタルが弱い」と言う大人は日本でもアメリカでもたくさんいるが、実際にその「辛抱」や「メンタルの強さ」は必要なのだろうか?
健康や幸福を害してまで、資本主義に迎合するために仕事に全てを捧げる必要性は、いったいどこにあるのだろうか?
こうした本質的な疑問を突き詰めていった結果、人生の大半を一つの職に捧げることの理不尽さに気づいてしまうのだ。
上の世代が少なくとも昇給や年金、健康保険や安定した雇用が見込めたのに対して、Z世代はその期待を持ちづらい。
さらに雇用主は従業員に時間や資源を投資しなくなっており、格差は大きくなる一方だ。
これは学歴インフレや大学のビジネス化によって、学歴を得るために、少なくない人々が一生借金を背負わなければならないというアメリカならではの状況の影響も大きい。
いくら働いても借金の返済のせいで貯金は増えず、クレジットスコアに振り回される一方であるZ世代は、「資本主義」というシステム自体を強く疑っているのだ。
そして、繰り返しになるが、Z世代の中で「仕事が人生の全てではない」という価値観が強まっている。
ここまで見てきたような様々な理由によって、「短い人生の時間をどう楽しめばいいのか、そして社会により良い変化を及ぼすにはどう行動すればいいのか」を考えざるを得ない状況に置かれているのだ。
より良い社会を目指すためにも、人種差別や性差別、そしてさらには悪質な資本主義の加速化や様々な搾取を行ってきているシリコンバレーやウォール街に「万歳」と唱えた大人たちの安直な拝金主義には、手放しで賛同しにくい雰囲気になっているのだ。
いろいろなところで述べているが、Z世代は「矛盾の世代」とも言える。
環境問題に配慮したいけれど、ファストファッションブランドで買い物もする。
資本主義には反対だけれど、毎日頑張っている自分に「ご褒美」を買ってあげくもある。
多様なバックグラウンドを持つ人々が集まっている世代だからこそ、価値観も非常に多様で、一括りにすることは不可能だ。
しかしその多様性の中でも、一貫して「もっと生きやすい世界になってほしい」という思いが強く存在しているように、私には感じられる。
自分が生きやすい世界にしたいという気持ちは、今の社会が生きづらいことの裏返しであるとも捉えられる。
Z世代は、自分で簡単にコントロールできる「身の回りのこと」だけに集中しよう、という「丁寧な暮らし」や「自分のことだけをする」といった試みによって「個人の力で気分良く過ごす」だけではない。
そこから目を転じて大きなシステムの枠組みにまで疑いを持ち、なぜ自分の生活が豊かにならないのか、前の世代のように恩恵を受けるのが難しいのか、なぜ自分が好きなように生きられないのか、苦労をしなければならないのかを繰り返し問うてきた。
だからこそ、その理由をZ世代は若い頃からどこかで悟っている。
誰かが大いに得をし、誰かが搾取される格差社会が悪化しており、根幹に後期資本主義の問題があるということを。
「大人に任せておけばいい」という時代は、もうすでに終わっている。
自分たちの手で、「昔からそうだったから変わらない」という前提ごと覆してしまう。
どんどん「変化の前例」を作っていくことで、自分たちの手で腐った社会を少しずつ変えられることを証明している。
我慢していても誰の得にもならない、という「絶望」と「希望」を抱えながら、「生きているという手応え」を感じるために、彼らは行動しているのだ。
最近よく聞く「Z世代」「ミレニアル世代」の本質を凄く突いてますね。
ディストピアな世の中だと感じるが為に行動するというのは良く分かる気がします。
ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。
彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。労働組合員ではなかったから。
彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。
嵐山こども食堂ホームページ→http://arashiyamakodomosy.wix.com/kodomosyokudou
嵐山こども食堂Facebookページ→https://www.facebook.com/arashiyama.kodomosyokudou/
京都市右京区の名所・旧跡・美味しいケーキ・美味しいお菓子やご近所の名店・グルメ情報・HPの無いお店もたっぷり登場させて行きます!