今回のブログは前回のブログの続きです。
前回のブログで、京丹後より元教師の友人が訪ねて来てくださいました・・・と書きました。
戴いた本の中にその方が書かれた文があるのでご紹介します。
「若い人たちとふくしま・こどもキャンプ」
鮮明に覚えている場面がある。
僕が関わった初めてのふくしま・こどもキャンプ。
会場を丹後に移しての開催だった。
初めて出会う子どもたち、天橋立駅に先生方と一緒に改札口を出てきた。
偶然その日に誕生日を迎えた子がいた。
1週間農家民宿を営む一軒の家を借り切っての生活。
翌日か翌々日だったか、近くの海に泳ぎに行った。
津波や原発事故で泳ぐ環境にない子どもたち。
初めての海、こわごわ近づくがなかなか入らない。
先生がいて、僕らがいて、高校生ボランティアがいた。
高校生の女の子がその小さな子の手を取って、少しずつ少しずつ海に入っていく。
こわごわ波を感じ、顔はこわばっているが、少しずつ緊張がゆるんでにっこりする。
浜辺で砂山を作ったり、波と追っかけっこしたりして距離感が徐々に狭まっていく。
決して焦らない高校生。初めてだから相手を見ながらゆっくり向き合っているように見える。
もう海から上がろうという頃、高校生に手を持ってもらってばちゃばちゃバタ足をする女の子の姿があった。
あるいは僕らであっても同じような道筋でその小さな女の子を笑顔にできたかもしれない。
でもあれこれ「配慮」したり「計算」もしたりしながら距離をとる僕らとは違う。
高校生に「ボランティアの心得」を説明したりはするし高校生なりに従ってくれるのだが、どう言っても高校生は若い。
福島からやってきた子どもたちとの距離は圧倒的に近い。(と高齢の僕は思っている)。
現地では本当に書かれている通りの場面に遭遇し体験をしました。
貴重なイベントに我が家も参加させていただき、色々感じること大でした。
特に我が家の娘達も色々想うこと、感じることは多かったようです。
上記の友人が書かれた文にあるように、高校生達の子供達に対する距離感には圧倒されますし、大人は敵わないなとも感じます。
ただ、敵わないから、敵わないのが身に染みて分かるが為、ふくしま・こどもキャンプの様に、皆が集える「場」や「空間」を創り出すのは、気づいた、そして気づかされた大人の役目かなとも感じます。
続く・・・
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