夏の終わり 中編



 

今回のブログは前回のブログの続きです。

 

「夏草や兵どもが夢の跡」・・・現在の福井城を堪能した後は旧北ノ庄城跡へ。

 

福井城からは少し離れたところにありますが、ここはてくてく歩きます。

 

現地到着。

 

下の写真・・・ここが柴田勝家公が治めた当時の北ノ庄城跡。

 

今は「柴田神社」になっています。

 

 

羽柴秀吉公には天下獲りで出遅れた感のある柴田勝家公ですが、織田軍随一の猛将で「かかれ柴田に退き佐久間」の言葉は有名です。

 

柴田神社の敷地内は史跡としても整備されており、こじんまりした中にも地元の方々の手厚い尊崇の念が感じれます。

 

さすがにゴミ一つチリ一つ落ちてません。

 

人も全くおられなくて閑散。

 

まぁ平日ですしね。

 

織田信長公と同盟を結び、その後裏切って滅亡した近江の大名・浅井長政公・・・その奥方のお市の方の再婚先が柴田勝家公です。

 

子に茶々(豊臣秀吉側室)、初(京極高次正室)、江(徳川秀忠継室)がおられます。

 

孫にあたる人物は豊臣秀頼(茶々の息子)、豊臣完子、千姫、徳川家光、徳川和子(江の娘、息子)など織田家の血をひく高貴な血筋。

 

徳川和子は後水尾天皇の中宮となりその娘は明正天皇となりました。

 

また今上天皇の先祖に当たる人物でもあります。

 

敷地内には往時の北ノ庄城を偲ぶ石垣も。

 

かなり地面より下で地中に埋もれてます。

日本画の巨匠・平山郁夫画伯の石碑。

 

因みに歴史シュミレーションゲーム「信長の野望 創造」で柴田勝家公の能力値は

 

統率87

武勇92

知略68

政治66

 

となっており、戦法に「瓶割り」があると言う、漢(おとこ)が一緒に戦いたい&憧れる武将です。

 

ルイス・フロイスが柴田勝家公を評しています。

 

「信長の重立ちたる将軍二人中の一人」

 

「はなはだ勇猛な武将であり、一生を軍事に費やした人」

 

「信長の時代の日本でもっとも勇猛な武将であり果敢な人」

 

「彼は禅宗であるが、他の宗旨を憎まず」

 

フロイスたちの越前でのキリスト教の布教については、いっさい妨害はしないが手助けもしない、教えが広まるかどうかは宣教師たちの「テガラシダイ(手柄次第)」だと述べたという。

 

フロイス『日本報告』は、賤ヶ岳の闘いの敗戦ののちの北ノ庄城での柴田勝家が、離反した家臣に対して恨み言は言わず、また最後まで付き添ってきた家臣たちには、生き延びることを許し、むしろそれを喜ぶこと、また、今生においてはこれまでの家臣たちの愛情に報いるすべがないことへの嘆きを収載しており、勝家の温情ある人柄を伝えている

 

また、これに類する話が前田家家臣の村井重頼の覚書にも記されている。

 

続く・・・

 

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