この日は家族旅行。
北陸方面へ。
戦国時代にこの地を治めた北陸の猛将・・・柴田勝家公に逢いに。
今回は現地をあまり下調べ無しで向かった為に、福井城が県庁舎所在地だとは露知らずに到着(笑)
現地ではナント徳川家康公の子息の一人、結城秀康公がこの福井城でお出迎え。
恐縮です(笑)
この結城秀康公もなかなかの人物。
慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)の関ヶ原の戦いの折、会津上杉討伐に向かっていた徳川連合軍は、上方で石田三成公が大戦の準備をしているとの報で、急ぎ大阪方面に取って返す際、上杉軍への抑えとして殿軍をこの結城秀康公に任せました。
その殿軍の任務が悔しかったらしい結城秀康公は、上杉景勝公に決戦を臨んだ為に上杉軍は徳川連合軍を追撃出来なかった・・・天下の徳川連合軍と戦うことを想定した布陣で待ち受けていた上杉軍の戦意が殺がれたとも言われています。
天下統一後の徳川側の城は「天下普請」で建てられた城が多く、巨大で豪華な石垣や天守や櫓の建物、堀などが多くて見応えがあります。
「天下普請」とは臣従を誓った各地の大名に労役や資材の提供をさせることで、これにより財力や戦意を削ぐ目的があったと言われております。
結城秀康公が治めた際の城の名称は「北ノ庄城」。
関ヶ原の戦いの戦功第一位で68万石の拝領です。
以前この地を治めていた柴田勝家公の北ノ庄城跡に建てられた城で、1624年に福井藩第3代藩主松平忠昌によって、「北」の字が「敗北」にあたり不吉であるとして「北ノ庄」から「福居」に改名され、さらに後に「福井」と改名されます。
改名の経緯に関しては諸説ありますが、一説には、北ノ庄城内にあった「福の井」という井戸に因んで改名されたと言われてます。
各地で見ても「これは攻めれんな」といつも思う急角度の大きな石垣(笑)
こうやって城跡に立つと「兵どもが夢の跡」を感じずにはおれません。
石垣を眺めながら歌を思い出してました。
夏の終わり(森山直太朗)
追憶は人の心の 傷口に深く染み入り
霞立つ野辺に 夏草は茂り
あれからどれだけの時が 徒に過ぎただろうか
せせらぎのように
誰かが言いかけた 言葉寄せ集めても
誰もが忘れゆく 夏の日は帰らない
夏の祈り 夏の祈りは 妙なる蛍火の調べ
風が揺らした 風鈴の響き
夏の終わり 夏の終わりには
ただ貴方に会いたくなるの
いつかと同じ風吹き抜けるから
次回ブログではもう少し福井城を深堀りします。
続く・・・
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